lain Magazine

睡眠・食事・運動に加えて、考え方(認知)など踏まえて総合的に生きやすい、毎日平穏に暮らすことが人生のゴールであり、そのゴールに対してインプットした情報を発信するマガジンです。

ストレス性障害で会社を退社して、その後2か月ニートして、社会復帰して1年が経った結果①

こんにちわ、lainです。
今回のブログは、病気で会社を辞めて~ニート~社会復帰~社会復帰1年経った流れをまとめておこうと思います。
今の職場でメディアのライターおよびデスクの仕事をしているので、初期のブログより構成を考えたうえで書くので、いままでとはちょっと違うな(いい意味で)と思ってくれたらうれしいです。

なぜストレス性障害になったのか

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僕はSES(派遣型システムエンジニア)として、働いていました。
辞めるきっかけとなった会社(現場)入った時、食事と運動に気を使い、抗不安剤を使用し、体調は万全でした。
しかし、さまざまな要因でストレスが溜まっていきます。
一番の原因(会社にいけなくなった原因)は、入社4年の人が2週間かかる仕事を3日でやれと言われて、リーダーA(正社員)およびリーダーB(仲介会社)の人がその仕事を理解しておらず、自らすべて調べて納期に間に合わさないといけず、そもそも無理だったスケジュールだったため、リーダーB(仲介会社)に相談しました。

・組織図

僕は下請けの下請けの立場
自分(会社) → リーダーB(仲介会社)→リーダーA(正社員)

しかし、リーダーB(仲介会社)はリーダーA(正社員)に全く相談報告せず、私の状況はリーダーA(正社員)に伝わらない状況だった。
何度もリーダーB(仲介会社)に相談したが、無視されたまま、納期3日を迎える。
リーダーB(仲介会社)から「もう自分でリーダーA(正社員)に報告しな。」と言われたため、リーダーA(正社員)に報告した。

リーダーA(正社員)に50回以上の舌打ちされて、「なんで早く言わなかったんだよ。」と怒鳴れました。
僕は何度もリーダーB(仲介会社)に相談していたのに。。。ふざけるなという思いと、何も言えない自分がいました。
そのあと、リーダーB(仲介会社)に怒鳴られたことを説明すると、自分が報告しなかった不手際を何事もなかったのことのように、リーダーA(正社員)はいつもあんな感じで怒るんだよ、仕方ないと言ってきました。
僕は、なんで真面目に落ち度は何もなく終電まで必死に仕事したのに、なんでこうなるのか。。。と心が崩れ落ちました。
次の日からベッドから起き上がることができなくなり、心療内科で「ストレス性障害」と診断されて、診断書を受け取りました。
思い返すと、ストレスだったなと思う原因がいくつもあります。

  • スーツだとリラックスできず緊張する
  • 満員電車が深い
  • オフィスが汚い
  • 働いてるオフィスに100人以上いて、緊張する
  • 下請けの下請けという立場上、仕事がやりずらい
  • インフラシステム(貿易管理)のため、まったく面白くない

会社を辞めた経緯

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心療内科で診断書を発行されて、上司と面談することになった。
過去休職を経験しているので、今回は退職する流れになった。
上司の対応はすごい冷たかったことを覚えている。
大丈夫?なんて一言もなかったし、言葉にしてはないが、いきなりやめてマジ迷惑なやつって感じの態度だった。
こうして、会社の高圧的な感じで自主退社となり、ニートになった。

ニート中なにしてたのか

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職を失いニートになった。
貯金もそんなそんなになく、もう実家に帰ろうとした。
とりあえず1か月だけニートして、それからどうするか再度考えるがいいと決めた。
ニート中は、youtubeアマゾンプライムでだらだら動画見るか、出会い系やってました。
何がしたいわけでもなく、家にひたすら引きこもり、たまに仲の良い会社の元同期にごはん誘われるときだけ外にでる生活をしていました。
今まで年金、保険、住民税などの処理を会社でやってもらっていたので、それらを自らやるのに無知だったので、頭が回らない状態で情報を調べて整理するのはとても大変でした。

▼続き

kamin-neru.hatenablog.com